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「過去山行11」 奥穂高岳 1979/9 1980/8 [山歩き・ウォーキング]
過去の山行き備忘録、第11回目は北アルプス奥穂高岳。この山には昔々2回だけ登ったことがあります。
写真は奥穂高岳の山頂から
まず一回目は1979年(昭和54年)、9月20日~23日の2泊3日。今から35年前の山旅です。
北アルプス南部の登山基地・上高地から出発。バックはおなじみ河童橋。貧弱な装備ですね。
徳沢園前で休憩
横尾山荘からは横尾谷を歩く
涸沢のテント場。 涸沢ヒュッテでは大型の石油ストーブが稼働してました。
この記事をアップするにあたり、あらためてこの写真とネットで見た同じ場所からの写真を比べてみました。ガレ場に生える植物が、現在ではもっと低い位置まで下がって来ていました。温暖化の影響がここ涸沢にも及んでいるのか?
シュプールが刻まれた涸沢カールの雪渓を横目にザイテングラートを目指す。岩尾根に取り着いた地点から後の写真が無く、その後山頂まで辿り着けたのかよく覚えていません。帰りは同じルートを戻り、たしか横尾山荘か徳沢園で泊まってお風呂に入った記憶があります。
2回目は1980年(昭和55年)、8月28日~31日。翌年再びチャレンジ
相変わらずの貧弱装備。友人(右)は昨年に比べて装備も充実して山屋が様になってます。
ザイテングラートからの写真。当時持って行ったのは銀塩カメラ(PENTAX SP)なので、切り継ぎパノラマが涙ぐましいですね。今ならデジタルデータをソフトで簡単に合成できますもんね~
当時の穂高岳山荘記念スタンプ。50周年記念のもあります。調べてみると、50周年が昭和48年だったそうで、その7年あとに登ったことになります。昨年(2013年)で90周年。歴史ある山小屋なんですね~!
奥穂高岳の山頂。石が積み上げられています。ここより僅か2メートルだけ標高の高い、南アルプス北岳に対抗するかのようなケルンです。日ごろの心がけがのせいか?2年連続して天気が悪かったですね…
前穂高岳の分岐地点。穂高岳山荘に泊まった時、同泊した人に「夏山JOY」の記者が居て、記事にするための取材を受けました。山道具の写真を撮られたのが雑誌に載って、貧弱な装備が恥ずかしかったです。
この場所に着いた時、その記者の方はすでに前穂を往復して戻って来ていました。健脚だなあ!と感心しましたね。
重太郎新道を下り、岳沢ヒュッテ(現岳沢小屋)を経由して岳沢登山口に降りてきました。
上高地の駐車場。当時すでにマイカー規制がありました。私たちは規制日を外して来たので、ここまで車で入れました。車を見ると時代を感じますねえ。
若い頃登った穂高。厳しい場所もたくさんあったんでしょうが、ほとんど覚えてません。今歩いたらきっとビビルでしょうねえ… (^_^;)
タグ:過去の山行き
さすが、キャリアが違いますね! 写真も昭和全盛期!!
最後の写真の車は「カリーナ」かな?
所謂「オクホ」ですね~
1979年って、まだ私は14歳・・・今の自分の娘より若かった時代だからな~
YMOとかにはまっていた年頃です (*´∀`*)
by 水鵬 (2014-08-30 18:38)
水鵬さん>おはようございます!
この頃は年に1回か2回くらいしか歩いてませんので、キャリアとは呼べません。
それに北アルプスなんて、この時以来まったく行ってないですし…
でも、行けるものなら行ってみたいですね、久しぶりに。
写真のクルマは今は亡き「コロナ」で、100系というやつです。
YMO懐かしいなあ… レコード1枚持ってますよ!
by teppan (2014-08-31 09:04)
うーん、時代(^。^;)!!
奥穂高、行きたいような、行きたくないような。
YMO、私はCD世代ですが、テクノフリークなので通ってますよ。
一説には今のジャンルとしてのテクノの語源はYMOにあり。
今見ても聴いても、かっこいいオジサマ方です。
by teln (2014-09-04 19:01)
telnさん>おはようございます!
奥穂高、久しぶりに行ってみたい気もしますが怖いし混むし…
涸沢のテント場なんてあの頃とは比べ物にならない数の人で溢れてます。
北アルプスと言えば、たしかtelnさんは焼岳での出来事があったんでしたね。
ポップなんて言葉も全く認知されてれなかった時代に、
YMOのメンバー他、松任谷正隆、山下達郎、今年亡くなった大瀧詠一など
多くの団塊世代の先駆者達が築いた土台の上で、現在の日本の音楽が成り立っているのです!
ナンチャッテ^^;
by teppan (2014-09-05 09:50)